おしまい日記

日常の終わりとはじまり

あにうえ

五歳上の兄とは仲が良い。よく一緒にカラオケに行くんだけど、兄は、LINDBERGの今すぐKiss Meを歌うたびに、

『この歌は、結局ドキドキすることはやめられないってことしか言ってないんだよ』

と自分に言う。兄は、classの夏の日の1993を歌うたびに、

『この歌は、たいしたことない女だと思ってたけど、水着になったら良かったってことしか言ってないんだよ』

と自分に言う。そんな兄のせいで、自分はJ-popの歌詞の意味について暇があれば考えるようになってしまった。

たとえば、アンパンマンのマーチ(J-pop?)にて、たとえ胸の傷がいたんでもという歌詞では、『それって、あんこの消費期限的な意味合い?』とか思ってしまうし、

たとえば、SIAM SHADE1/3の純情な感情のサビでは、『壊れるくらいに愛しとるんにそんなにも伝わらんのは、己の問題でしかないやん』とか思ってしまう。

ぜんぶ、あにのせいだ。

ついでに、自分が中山美穂&WANDSの世界中の誰よりもきっとを歌うと、

「違う。おまえのい〜つで〜も〜♪の部分はハモリのパートだ」

っていつも注意されるんやけど、自分ちゃんとミポリンの部分歌っとると思う。あれさ、その部分だけ主パートがWANDSミポリン入れ替わっとるってことない?ハモれんタイプの人間やから正解がわからん。