おしまい日記

日常の終わりとはじまり

右翼手が平凡なフライを落っことした

今日はHちゃんと遊んだ。本当はお花見に誘われていたのだけれど、あいにくの雨で予定変更。Hちゃんはエッグシングス?のパンケーキが好きらしいので、お昼ごろに集合し、昼食代わりに食べる。その後に原宿~渋谷界隈をうろうろし、疲れたところでお茶。Hちゃんとは馬が合うし楽しいしラク。愚痴を言わないところが似てる。自分は清らかな人間であるとは言えないけど、それでも愚痴で盛り上がるのがどうも好きじゃない。というか、人生で嫌いな人って2人しかいないから、大人になってからそれを超える人物に出会ったことない。嫌いになるほど興味ない。1人は中学の時の部活の顧問の先生。1人は親戚のおじさん。血の繋がりのない親戚やから、裏でマグルって呼んでる。(このネタで笑ってくれる人少ない)そんな話はどうでもいい。

Hちゃんとはポルノグラフィティが好きという共通点があって、どの曲好き~?って話になり、Hちゃんは「2012spark」と「カルマの坂」が好きらしい。「〇〇ちゃんは?」と訊かれて、本当は「n.t.」が好きなのだけれど、暗すぎるかな?と思って、「ライン」と答えた。ラインも大好きやから嘘はついてない。

あと自分が宮崎あおい氏が好きなんやけど、去年のてりたまのあおいちゃんのCMがいかに可愛かったかって話で盛り上がって楽しかった。

自分の家の事情の話もした。初めて友達に話した。

Hちゃんも上京したばっかりの時にお父さんの胃癌が発覚して、でも上京したばかりだからすぐに戻るわけにもいかず、月1くらいで地元に帰っていたらしい。その頃は毎日泣いていたそうだ。末期でステージ4、全身転移もしていて、余命宣告も受けていたとのこと。Hちゃんは一人っ子だし、余計に心配が大きかったであろう。

しかしながら、抗がん剤治療がうまく効き、転移した癌はそのまま収まってくれて、現在は、胃を全摘出はしているけれど、ご飯も普通に食べているし(もちろん人よりは多く食べれないけど)仕事にも行き、宣告を受けて4年経った今もご健在であるらしい。これって相当すごいことやんな。担当のお医者さんからは「鉄人」と呼ばれているらしい。そりゃ呼ばれるて。

なんか今年に入ってからは「自分だけが!」ってヒステリックになっていたけど、みんなちゃんと色々あるし、誰かと話を共有するだけで励まされたり救われたりするんやなあって思った。

帰り際に「じゃあ〇〇ちゃん、地元帰るかもしれんってことだよね?」って言われ、かつ、「ていうか急に来月帰ることになったわ~ってこともあり得る?」って訊かれて「わたしの性格上、あり得なくはないかな」って答えたら「ええ~~」って言われた。

まあ、実際はそんなに早くは帰らない。。。はず?

とりあえず、次はお台場で蝋人形観に行こうねって話になって夕方にバイバイ。

帰ることになったとて、自分には東京で一個やりたいことがある。

自分は村上春樹ファン。早稲田にあるライブラリーには2月に行き済み。他にも、ファンとしては強烈に行きたいところがある。

村上氏の、小説を書こうと思ったきっかけの話にて、

 

<小説を書こうと思い立った日時はピンポイントで特定できる。1978年4月1日の午後一時半前後だ。その日、神宮球場の外野席で一人でビールを飲みながら野球を観戦していた。(中略)そしてその回の裏、先頭バッターのデイブ・ヒルトン(アメリカから来たばかりの新顔の若い内野手だ)がレフト線にヒットを打った。バットが速球をジャストミートする鋭い音が球場に響きわたった。ヒルトンは素速く一塁ベースをまわり、易々と二塁へと到達した。僕が「そうだ、小説を書いてみよう」と思い立ったのはその瞬間のことだ。晴れわたった空と、緑色をとり戻したばかりの新しい芝生の感触と、バットの快音をまだ覚えている。そのとき空から何かが静かに舞い降りてきて、僕はそれをたしかに受け取ったのだ。>

 

というエピソードがあり、帰ってしまう前に、神宮球場に行きたい。

これは村上氏が29歳の時の話で、自分の年齢は28やけど、29の学年の年やし、そのへんもタイミング的に感慨深い。(1つ問題があるとすれば、自分は既に26歳の時に小説を書いちゃってるっていう)

そしてその試合は、ヤクルトVS広島だったらしい。直近だと試合は4月1日、2日にある。しかしあいにく行けなさそう。というか、行けるとて、おそらくチケットもほとんどないであろう。

しかしながら、野球あんまり詳しくないけど、観に行って大丈夫なのかしら?という心配もなくはない。野球好きな人と一緒に行けばOKかなあ?

帰ってしまう前に、この野望は果たしたい。